手宮線、かつての色内駅・『幽鬼の街』の「共同便所」

街なかでの用事はなるべく徒歩で済ませるようにしています。街並みウォッチを兼ねて……。
先日は少し久しぶりに、手宮線跡地の遊歩道を歩きました。
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文学館・美術館の脇にある旧色内駅。
手宮線で唯一の中間駅として旅客扱いを行った駅でした(正確には「仮停車場」「乗降場」の名だったようです)
駅の開設は大正元年8月11日。
色内の商業地域の真ん中にあって乗降の需要は多かったと思われますが、
石炭輸送を主目的とした手宮線にとって、旅客輸送は疎ましい存在だったようです。
この色内駅も何度か廃止・営業再開を繰り返しましたが、
昭和37年5月14日をもって手宮線での旅客輸送は廃止され、
その日が色内駅の最後となりました。

駅といってもごく簡素な建物でしたが、3年前にかつての駅舎を模した小さなあずまやができました。
散策の休憩所のようですが、あまり利用されてはいない様子。そもそもどう“利用”できるのか。
トイレでも作れば役立つのに……(まあトイレならすぐ後ろの文学館内のを使えってことなんでしょう)

そういえば昔はここに公衆トイレがあったようです。
伊藤整が昭和12年、小樽を舞台に著した小説『幽鬼の街』には、「色内停車場下の共同便所」が出てきます。
しかもその記述は
「暗緑色にぬった、がたぴしと破れた大便所の扉から、何者とも知れない骨ばった手が出て私の着物の裾をつかんだ。」
という、おどろおどろしい内容です。

この小説の主人公は、伊藤整本人の影を色濃く写した主人公「鵜藤つとむ」。
物語には小林多喜二が実名で出てきて(注)、白い浴衣の裾をひるがえしながら宙を高く飛び回った末、
天狗山の方に飛び去って行くとか(すなわち亡霊のイメージそのもの……)、
妙見川(現在の通称「寿司屋通り」沿いを流れる川)のせせらぎが人間の声を発して「私」に語りかけてくるとか、
ついには「私」がなぜか透明人間のような存在になって
かつての知人が自分の悪口を言うのをすぐ近く(「札幌ビイル直営ビヤホオル」のテーブル)で聞く……
といった荒唐無稽、幻想的な記述が出てきます。

ともあれ昭和初期の小樽の街の描写も多いので、その視点から読んでもなかなかおもしろい小説です。

(注)ここでは昭和31年刊の伊藤整全集(河出書房)をもとにしています。
『幽鬼の街』初出の雑誌『文芸』(昭和12年)では小林多喜二が実名、14年刊の単行本では別名(大林瀧次だと!)に変わっていました。
なお多喜二はこの小説が書かれる前、昭和8年2月20日に、築地警察署内で獄死しています。


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駅に隣接する古びた長屋。かなり荒廃していますが、不思議にカラフルで、印象に残りました。
このあたりもかつて、駅が営業していた頃には小さな飲み屋などが並んでいたようですが、
今はほとんどが店を閉めています。
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by wilderness-otaru | 2014-11-12 14:36 | 小樽散歩 | Comments(0)
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