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江差の街 軍艦〈開陽丸〉

鴎島の手前の海岸にたたずむ、
古風な姿の帆船。
それが開陽丸です。

鰊漁で栄えた歴史をもつ江差でも、
それとは別に幕末の一時期、
この地に降って沸いた“事件”があった。
それをもたらしたのが、この船でした。
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現在、江差の浜で見られるのは、
この地で座礁し沈没した船を復元したもの。
水に浮いている「船」ではなく、
水中に造られた「建物」ですが、
建造時の設計図をもとに、
正確に再現されています。
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開陽丸は幕末、
必死で西欧に追いつこうとする幕府が
オランダに発注した軍艦です。
建造にはおよそ3年を要し、
その間、日本から派遣した15人の留学生が
現地で学びながら船の完成を待ちます。
留学生のなかでリーダー格であったのが
榎本武揚(当時は「釜次郎」の名を使っていたようですが)

完成した船に乗った榎本らが帰国して間もなく、
将軍・徳川慶喜は政権を返上、
新政府が成立します。
そんななかで榎本は新政府軍の手を逃れ、
開陽丸を含め8隻の艦隊で、
江戸湾から北を目指します。

向かったのは蝦夷地。
そこで独立国をつくることを
榎本は目指していました。

蝦夷地に至って艦隊は分散しますが、
旗艦である開陽丸が向かったのが江差。
しかしこの町の沖合に停泊している間に、
暴風が襲い、船は座礁し、沈没してしまいます。

榎本がオランダで航海術や軍事、
国際法を学んだとはいえ、操船に関しては
まだまだ初心者マークでした。

沈没した開陽丸の、本格的な調査と
遺品の引き揚げが始まったのは昭和50年。
そこで回収された膨大な品々を展示するのが、
この復元された開陽丸です。
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船の艤装に関するものから、
食器など生活用具まで、多種多様。
長年、海水に浸かっていたものを
保存するには、化学的な処理が必要だそうで、
それらのプロセスに関しても、説明されています。
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甲板上は真っ平ら。
榎本もこんな場所で
舵を握ったのだろうか……。

開陽丸については司馬遼太郎さんの
『街道をゆく』シリーズのうち
『北海道の諸道』で詳しく書かれています。
司馬さんが江差を訪れたのは昭和53年、
水中探査の作業が行われていた時期で、
もちろんこの復元開陽は、
まだできていません。

あらためて本を読み返し、
現地では気付かなかったことがいろいろわかり、
またこの大作家の見識の深さにも感じ入りました。

司馬さんも開陽丸が
大海を航海していたのでなく、
江差の港にいながら座礁したことは悔やまれるとし、
地元の老練な漁師から、
海の状況を聞くべきであったと記しています。

なかなか見応えのある展示施設でした。













by wilderness-otaru | 2017-08-18 00:51 | 北海道の各地 | Comments(0)
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