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妙見市場、2棟の取り壊し

《小樽市場物語》(おたるいちばものがたり)という本を、
当社から出版したのはもう10年も前のことです。
北海道新聞の小樽版で長期にわたって連載された同名の記事を、
単行本として1冊にまとめたのでした。

スーパーやコンビニでの買い物が主流となるなかで、
個人商店の集まる市場は、厳しい状況にあるようです。
この本のなかでもそんな市場の現状が記されていますが、
本の発刊から10年が経ち、
状況はさらに厳しくなっているように思われます。
市場のなかの店が減ったり、さらに市場自体が
なくなってしまったものいくつかあります。

《妙見市場》は、店舗が減ったために
3棟あった建物を1つに集約しました。
その決定への経緯は《小樽市場物語》でもふれているので、
もう10年以上前ということになります。
完全に集約するには時間がかかったようで、
空いた2棟も長らくそのままになっていましたが、
年明けからついに取り壊しが始まりました。
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カマボコ型の建物2棟はすでになく、
今は川を覆っていたコンクリート板の撤去が進められています。
そう、この建物は川の上にフタをして、
そこに建物を造るという構造だったのです。

なぜか……。小樽の市場の多くは戦後、樺太や満州からの
引き揚げ者が営んだ露店をルーツとしています。
日本の本土に身寄りがない人は、
引き揚げ船の着いた小樽にそのまま住みつき、
路上で食料を売る商いを始めて日々の糧を得ていた……。

しかし終戦直後の混乱期が過ぎ、次第に市街の整備が始まると、
露天商は居場所を追われることとなります。
路上から閉め出され、かといって代替地の確保もままならない。

そこで花園町の於古発(おこばち)川周辺で商いをしていた人が造ったのは
「川の上の建物」でした。
この当時、於古発川沿いの一帯で営業していた露天商は、
国道の山側・海側合わせて170軒もあったらしい。

戦後まもない頃にできた建物も、
昭和37年8月の台風による豪雨で川が氾濫すると、
文字どおり足下をすくわれる形で全壊し、
流されてしまいます。

それでもその後まもなく再建を果たしたのは、
それだけ商売が順調だったからでしょう。
スーパー、大型店がない時代、市民の買い物の場は
こうした市場の個人商店しかなかったのだから。
カマボコ型の新しい建物での営業が始まったのは
昭和39年10月1日。東京オリンピックが開会する直前です。
小樽では9月27日、妙見市場すぐそばの鉄道高架が完成という
大きなできごともありました。
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解体が進み、川の水面が見えてきました。
約50年ぶりに……。

3棟のうち、いちばん山側に残った1棟は、
もちろん営業中です。

ところで最近、妙見市場の解体を惜しむ声をいくつか耳にしましたが、
どうやら妙見市場全体がなくなってしまうと思った人もいたようです。
この市場をある程度利用している人なら、店舗を1棟に集約して、
使われなくなった2棟をいずれ解体するというのは、
何年も前からわかっていたことなのですが……。

少々意地悪な見方をすると今になって、
なくなるのは惜しい、ショックを受けた……などと言っている人でも、
実際に市場を利用することはなく、
単に外から見ていただけの人が少なくないのかもしれません。

それを非難するつもりなどないけれど、
そのあたりが市場の厳しい現状を示しているようでもあります。

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屋根の雪がすごい。横にクルマを置いて大丈夫?
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それにしても、3棟に入っていた店を1棟にまとめてもなお、
空きスペースが目立っている。
ちょっとさみしい状態。
せっかく建物内に入ったので魚屋さんでサーモンの刺身を買って帰り、
昼ご飯のおかずにしました。






by wilderness-otaru | 2012-02-22 23:18 | 小樽散歩 | Comments(0)
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