博物館の蒸気機関車 〜C55 50号機にまつわる“秘話”!?〜

先日は小樽市総合博物館に展示されている
明治時代の古典的な機関車
〈大勝号〉のことを書きました。
今度は、同じ博物館の車両でもより新しい、
昭和12年製の機関車C55 50について。
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この機関車は、博物館の前身である
〈北海道鉄道記念館〉の時代、
昭和52年5月からこの地で
展示されているものです。
北海道の鉄道100年にあたる
昭和55年を前にこのC55 50のほか
C62 3、C12 6の3両が
展示車両に加えられました。

 
しかしC55 50が小樽に
来ることになった経緯に関しては、
ちょっとしたストーリーがあります。

実は本来ここに展示されるはずだったのは、
同じC55型の機関車でも50号機ではなく
30号機の方だったのです。
 
このC55型という機関車の一部(計21両)は、
1930年頃に欧米で流行したスタイルを取り入れ、
曲面的な外装をまとった「流線型」という
非常に特異な形で造られています。
しかし流線型でも空気抵抗を
減らす効果はほとんどなく、
逆に点検整備に不便といった理由から
鉄道の現場では不評でした。

そのため戦後には普通の外観に戻され、
流線型の機関車は1両残らずなくなります。
しかし改造後も車体の何カ所かに、
わずかながら流線型の名残を
とどめていました。
特に運転席屋根が大きな弧を描く
丸味を帯びた形状である点は、
最も顕著な特徴です。

 
手宮に来るはずだった30号機は、
その“流線型改造機”のうちの1台であり、
その希少性こそが、この機関車を
保存機に選ばせた理由でもありました。

ところが! 
保存予定であったC55 30は、
現役引退後ほどなくして
解体されてしまったのです。
原因は、当時の国鉄内部での
連絡ミスだったとされています。

 
この大変なミスに、関係者は
30号機の解体後まもなく気付いたらしい。
そこで記念館に保存用の機関車を
搬入するにあたって取られた対応は、
何と! 残っていた同形式の別の機関車、
50号機を30号機に仕立ててしまうというものでした。

まずはいちばん目立つナンバープレートの付け替え。
さらに、機関車には分解整備などに備えて
足回りなど主要部品にも
番号の刻印を打っているのですが、
これにも手が加えられました(やるなあ……)
しかしすべての部品の刻印を
打ち換えることは不可能でした。
何より、車体の何カ所かに残る
流線型改造機の特徴は、
当然ながら容易に直しようのないものでした。

というわけで50号機から30号機への
“なりすまし”はあっさり見破られ、
結局、この機関車は“変装”を解いて、
本来のC5550号機として展示されることとなり、
現在に至っているというわけです。

「捏造」「改ざん」というと
少々辛辣ですが(確かにそのとおりなんだけど……)
まあ困った関係者の窮余の策だったと、
理解することにしておきましょう。
(以上は雑誌〈鉄道ファン〉Vol196・1977年8月号 小熊米雄氏によるレポート記事を参考にしました)

ひとつ明らかなのは、
流線型改造機などという特徴も希少性も、
鉄道の研究者やファンだけが
知るところであって、
現場の仕事に携わる人々のあいだで、
そんなことは認識されて
いなかったということです。

だからこそあっさりと解体されてしまったし、
その特徴に気付くこともなく、
安直にナンバーを付け替えればいいと
考えられたのでしょう。
鉄道で働く人と“趣味人”の
意識・視点の違いなのか……。

▼足回りの部品をよく見ると……。
C5550の上に刻印を重ねて
C5530とした跡がわかります。
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▼この部分です。
ほかにも打ち換え箇所はあるのだけれど、
錆びて見えづらいところもあり、
比較的わかりやすいのがここ。
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▲また運転室内、逆転器ハンドルなどにも刻印と、
それを打ち替えた形跡が見られます。

こうして見ると足回りの錆が気になります。
NPO法人北海道鉄道文化保存会の人たちによって、
車両の補修作業が行われているのだけど、
なかなか追いついていないのが実状のようです。
手宮は海に近くて塩害の影響もあるらしい……。
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それにしてもC55 50は
両脇にプラットフォームが造られ、
足回りが隠されてしまっているのが
つくづく残念。

蒸気機関車といえば、
巨大な動輪がその魅力の大事な要素だし、
特にC55は“水かき付き”と表現される、
独特なスポーク動輪に大きな特徴があるのは
よく知られていることです。
旧交通記念館の展示を設計した人は、
まったく知識もセンスも
なかったのだなと思います。

▼これは昭和52年4月21日、
鉄道記念館での展示のため、
当時の手宮線を通って回送される
C62 3+C55 50+C12 6。
最近発見した貴重な画像です。

先頭のDD51が牽引し、
3両の蒸機は記念館での
展示位置に合わせて
逆向きになっています。
後ろに見える大きな建物は
日本銀行小樽支店。
現在は営業していなく、
金融資料館となっています。

こうして3両の蒸機の、
手宮での展示が始まりました。
そのうちのC62 3が動態復元のため
再び手宮線を通って
小樽築港機関区に移送されるのは9年後、
昭和61年10月3日のことでした。
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【写真の複製/転用はお断りします】








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by wilderness-otaru | 2012-07-19 23:56 | 小樽散歩 | Comments(0)
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