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花園、稲荷小路のあたり

花園の繁華街から、1本外れたところに
「稲荷小路」と呼ばれる細い道があります。
嵐山通りの末端部分で、途中で直角に曲がって
於古発通り(おこばちどおり=通称・寿司屋通り)に抜ける小道です。
小さな居酒屋などが10数軒ほど並ぶ、
繁華街のなかでもちょっとひっそりしたたたずまいです。
通りの中ほど、曲がり角の位置に小さな稲荷神社があり、
それが通りの名の由来となっています。

当方で編集を担当している北海道新聞別刷りの
月刊情報紙〈新・ねっとわーく小樽〉の10月号には、
この稲荷小路の記事を載せています。
それにあたって先日、界隈を取材してきました。
稲荷小路については以前にも
このブログで取り上げたことがありますが、
今回は新たに知ったことなど書き加えてみます。
花園、稲荷小路のあたり_d0174510_21175137.jpg

▲以前に撮った写真ですが、
小路では猫の姿をよく見かけます。
行き止まりでクルマがほとんど通らないから、
猫たちには居心地がいいようです。
奥に見えるのがお稲荷さんの祠。

このお稲荷さんについては近くのラーメン店
〈自来軒〉のご主人がよく知っていると聞き、
話を伺いました。
もちろん、ラーメンを食べながら……。

以前にも普通に、客として店を訪ねて
稲荷神社のことを多少聞いたことはあるのだけど、
細かいことは忘れてしまってます。
花園、稲荷小路のあたり_d0174510_2122327.jpg

▲ご主人の神(じん)真一さん、昭和7年生まれ。
この店を出したのは昭和47年。
花園町にはかつて〈来々軒〉という有名店があり、
神さんはそこから独立したのだそう。

祠というと何やら歴史的なものと思われますが、
ここのお稲荷さんが建てられたのは
昭和55年と、意外にも新しい。
商店会で、商売繁盛を祈って建てたのだそうです。

もっとも「稲荷小路」の名は古く(多分、戦前)からあったそうで、
ということは稲荷はもともと建っていたと思われます。
すなわち昭和55年に建てたのは“再建”ということになるのかも……。
神さんは稲荷小路商店会の会長をずっと務めていたこともあり、
稲荷の手入れ係をずっとひとりで担ってきたらしい。
「だって誰もやんないんだから……」と、苦笑しつつ。

ところでちょうど自来軒の前あたりに、
かつては「稲荷小路」の名を掲げた
アーチ型の看板が立っていました。
花園、稲荷小路のあたり_d0174510_2132989.jpg

▲この写真は5年ほど前に撮ったもの。
古風ないい味がありました。
画面左、ツタの絡まる建物も今はなく、
コインパーキングになっています。

アーチが撤去されたのは、
僕の記憶では3年くらい前だったはず。
ご主人にそう話すと、
「いやあ、もっとずーっと前だあ」と言います。
しかし僕は、以前に自分が撮った写真も見ておいたので、
確信があります。
ご主人、日記らしきノートをしばらくめくって、
その結果、撤去されたのは2011年5月25日だったと、
日付まで正確にわかりました。ほーら3年前!

さてラーメンについて。上の写真を見ると、
メニューにはただ「ラーメン 七〇〇円」とあります。
このラーメンとは、塩ラーメンなのです。
だしのよく効いたスープが美味でした。
麺は少しやわらか目だったけど……。

メニューをよく見ると、少し間をあけて
「味噌ラーメン 八〇〇円」はありますが、
なぜか正油ラーメンが、ない。
ご主人に何故?と聞くと、「正油もできるよ」。
え!?
「なんでメニューに載せないの?」
「みんなわかってるからいいんだ」
うーむ。馴染み客が多いということらしい。

今回はお稲荷さんが中心だったので、
ラーメンについてはあまり話題にしませんでしたが、
今度またあらためて、いろいろ聞いてみたいと思います。
正油ラーメンをいただきながら(笑)

さらによく見れば、けっこうメニューは幅広い。
「中華ちらし」もある!
炒めた具材を白飯の上に載せたもので、
帯広の店が発祥?といわれる一品です。
しかし焼飯とともに900円って、ちょっと高くないか??

ちなみに店は午後6時から12時まで。
ご主人いわく「昔は昼もやってたんだが、
年取ってきつくなって」とのこと。
きつくなったら昼だけにするのでは?とも思いますが、
そこはやはり夜の街、花園です。
お客のほとんどは一杯飲んだ後の立ち寄りで、
遅い時間の方が客入りがいいらしい。







by wilderness-otaru | 2014-10-14 21:50 | 小樽散歩 | Comments(0)
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