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都通りアーケード  ……屋根はあるのに!?……

先週末1月17日土曜日はすごい吹雪でした。
そのせいか、今日(19日)の都通り商店街は、
屋根付きアーケードにも関わらず、
中がびっしり雪で覆われていました。
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アーケード両側の出入り口、
建物と屋根のわずかな隙間から吹き込んだ雪が、
これだけ積もってしまうのだからすごい。

アーケードの天井近くに掲げられるのは
榎本武揚の肖像です。
商店街と榎本がどういう繋がりかというと、
榎本は〈開拓使〉の官僚だった明治初頭、
この稲穂町一帯の土地を払い下げによって買い受け、
大地主になっていました。

榎本は雅号として「梁川」(りょうせん)を名乗っていたことから、
この通りは明治時代の終わり頃「梁川(やながわ)通り」と名付けられました。
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▲〈小樽港明細地図〉(明治38年)の一部。
「シヅヤ町」「ヤナガワ町」の名が読め、
これが通りの名の起こりです。

現在、梁川通りというと、
都通りの北側の通りの区間を指しますが、
昔は全体を通して梁川通りと呼んでいたのです。
それが都通りに変わったのは昭和6年7月。

この年の〈小樽海港博覧会〉の開催に合わせ、
公募によって都通りの名が生まれました。
それを機に、梁川通りの全体が都通りに
変わってしまったわけです。
今でも梁川通りの北側、稲北十字に近い側にある
町内会館の名が「都会館」であるのはその名残。
また梁川通りの商店会の名称も、
正式には「小樽都通り梁川商店街振興組合」といい、
都通りと梁川通りとが、
同じ通りを指していたことを示しています。

では現在のように南側が都通り、
北側が梁川通り、とはっきり分けて呼ぶようになったのはなぜか。
きっかけとなったのが、アーケードの完成です。
商店街を覆う屋根ができあがったのは昭和41年。
それによって「アーケード区間=都通り」
という認識が市民のあいだにも広まることとなります。
そして北側、アーケードのない区間が梁川通りです。

都通りアーケードから、脇に入る小路をのぞくと見える、
ツタの絡まる建物は〈叫児楼〉。
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昭和50年に開業した“伝説的?”喫茶店です。
この店が建つのは〈静屋通り〉。

この静屋通りに関しても、
ちょっとしたウンチクがありますが、
ややこしくなるのでまた今度。







by wilderness-otaru | 2015-01-19 16:27 | 小樽散歩 | Comments(0)
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