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道南の旅【3】“古都”松前

函館から松前町にやってきました。
江戸時代には蝦夷ヶ島に
ただひとつ置かれた“藩”である
松前藩の城下町だったところ。
そうした歴史をもつだけに
“古都”の風情が漂う、
北海道では希有な場所でもあります。

何と言ってもお城がある。
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松前城です。またの名を福山城といい、
町でいちばんの見どころとなっています。
もっとも城は藩の拠点ではなく、
幕末になって外国からの脅威に備え、
幕府の命によって建てられたものです。
落成は安政元(1854)年。

大砲や銃器が主力の時代、
さあ狙ってくれといわんばかりに
戦国時代さながらの天守を建ててしまうあたり、
時代錯誤も甚だしい。
古典的な「城」の発想から抜けられなかった、
ということなんだろう。

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実用的な機能はさておいても、
シャチホコの載った白亜の天守は美しい。
もちろん北海道内では唯一のものです。

ただし城は昭和24年に火災で焼失し、
現在あるのは35年に再建されたコンクリート建築です。
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城は戊辰戦争の戦場にもなりました。
土方歳三率いる旧幕府軍が攻撃し、
短時間のうちに城を奪取します。
そのときの砲撃の跡が石垣に残っています。

城の背後、山側には“寺町”があります。
現在残る寺は松前藩の菩提寺である
「法幢寺」を含む5つ。
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暑い日だったけれど、蝉時雨がひびき
さわやかでした。
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松前藩の墓所。
藩主や側室の墓が並んでいます。
傍らには竹林もあったし、
どこを見ても“北海道らしくない”風情がたっぷりです。

ところで歴史上、松前藩といえば
アイヌからの搾取によって
藩の経営を成り立たせていたことが
語られます。

司馬遼太郎の大作『菜の花の沖』では
高田屋嘉兵衛が初めて蝦夷島に渡るくだりで、
松前藩をめぐる状況が詳しく描かれます。

あらためてその部分を読み返しました。
少し長いが引用すると……

「松前」という藩は、歴史の上でどれほどの名誉を背負っているのだろうか。
巨細にみても、広大な採集の宝庫の一角を占めた悪組織というというほかなかった。
この藩は、みずからの藩や藩人個々の利益になること以外に、どういう思想ももっていなかったように思える。
「場所請負制」という利益吸いあげの装置の上に、藩も藩人も寝そべっていた。

……との記述は実に痛快です。

松前藩はこうした藩経営の実情が
外部に知られることを極端に嫌い、
入国者にも厳しい取り調べを課しました。
小説では高田屋嘉兵衛が、沖の口の役所で
理不尽な取り調べに合う様子も仔細に描かれています。

このほか司馬さんの著作では、
『街道をゆく』シリーズの15巻、
『北海道の諸道』でも江差や松前が取り上げられていて、
旅での見聞に重ねると、おもしろく読めました。
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松前の前浜。
嘉兵衛の操る北前船「辰悦丸」も
このあたりに停まったのだろうか、と想像がふくらみました。
防波堤のように見えるのは、明治に入って造られた波止場で、
解体された松前城の石垣が利用されているのだそう。
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興味深い見どころがぎっしりの、松前でした。








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by wilderness-otaru | 2018-08-28 01:01 | 北海道の各地 | Comments(0)

道南の旅【2】函館公園

函館山から下りて、ちょこっと立ち寄ったのが
ここ、函館公園。
明治初期に造成が始まったという
歴史ある公園ですが、
この日、訪れたのはその中でも
遊具のある「こどものくに」。
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園内でとりわけ目を引くのが
小さな観覧車です。
初めてここに来たのは
7〜8年前になりますが、
ひと目この観覧車を見て、
お〜っと思いました。
かつて小樽にあったものと
そっくりだったから。

函館公園のこの観覧車は、
昭和25年、大沼湖畔に造られたもので、
「日本最古」を謳っています。
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直径10m、2人乗りの搬器が8台と小型です。

で、小樽にあった観覧車というのが……
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▲これです。
高さ約7mと、函館よりさらに小型ですが、
古風な感じがそっくりです。
完成は昭和32年5月ですから、函館より少し遅れます。
2006年秋で営業を終え、惜しくも解体されました。

函館公園はこれら遊具を含めた全体が
国指定文化財、登録記念物となっているのだそう。

初めて函館公園を訪れたのは晩秋で、
こどものくには閑散としていましたが、
今回はお盆休みとあって
ファミリーで賑わっていました。

観覧車に乗ってみた。
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のりものは1回300円で、ちと高い感じ。
(小樽の観覧車はたった60円だった!)
ま、歴史ある文化財を維持する協力金、と考えよう。

ほかにもメリーゴーランド、コーヒーカップなど
“昭和感”たっぷりの遊具があり、
かつての小樽公園の子どもの国を思い出して
なつかしく感じました。
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▲この写真を見て気付いたのだけれど、
「おたまご」って何??

函館と小樽は歴史ある港町という点で、
共通するところが多いですが、
この公園もまた、そのひとつだと感じ
楽しい気分を味わったのでした。









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by wilderness-otaru | 2018-08-26 00:24 | 北海道の各地 | Comments(0)

道南の旅【1】函館山、砲台跡を見る

8月10日、江差・姥神大神宮の例大祭を見たあと
道南地方でいくつか、訪ねたい場所がありました。
その筆頭が函館山。
山頂から見る夜景が何といっても有名で、
それを見に行ったこともありますが、
今回の目的は「史跡」です。

津軽海峡を睥睨する函館山の山頂部には
戦時中、軍事要塞が築かれ、
その遺構を今も見ることができます。

要塞の建造は明治後期、日露戦争の時代に始まり、
第二次世界大戦まで使われました。
そのため函館山の存在自体が軍事機密として、
立ち入りはもちろん、写真やスケッチも
厳禁されていたのだそう。

事前に下調べしたところ、
山頂部には広範囲にわたって要塞跡が点在し、
それらを巡る山道も、
いくつかあることがわかりました。
そのなかで選んだのは千畳敷コースです。

スタートは立待岬。
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津軽海峡に向かって突き出た岬は
景勝地としてポピュラーで、
多くの観光客で賑わっていました。
ここから車道を少し戻ったところが
登山道の始まりです。
「七曲り」と呼ばれるつづら折りの道を、
登ること約1時間。
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おなじみの、函館山の景観です。
ちょっとガスってました。
左端、テレビアンテナが建つあたりが
ロープウェイ駅のある山頂展望台。

千畳敷の広場に出て、さらにそこから
ひと登りすると要塞跡に到着します。
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ここにあったのは山頂部一帯にある、
さまざまな施設の核となる「司令所」だったそう。
いろいろな形をした建築物のそれぞれが、
どのような目的だったのか正確にはわからないけれど、
当時の優秀な頭脳の持ち主が、設計したのだろう。
山の上にレンガをはじめ多量の資材を運ぶ
築造工事も過酷だったことは、容易に想像できます。

この砲台は外国軍艦に対する“抑止力”はあっても、
実際にここから砲撃が行われたことはなかったらしい。
戦争の虚しさ、愚かさといったものを感じます。











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by wilderness-otaru | 2018-08-24 01:17 | 北海道の各地 | Comments(0)

穴滝 小樽の“秘境”にまつわる歴史など

当方で編集を担当する北海道新聞小樽版の別刷り
〈新 ねっとわーく小樽〉2018年8月15日号、
1面特集は『穴滝』。
勝納川の源頭部に位置するこの滝は、
大きな洞穴の上から一筋の水が流れ落ちる
特異な景観の見られる場所です。

市街地から1時間ほどで行けますが、
ポピュラーな観光地ではなく、
“秘境的”な趣のある場所です。
小樽市民でも行ったことのある人は、
そう多くないようです。

今回の特集記事でメインの画像として使ったのは、これ。
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紙面は1色刷りですが、撮影は3年前の6月、
新緑のきれいな時期でした。
滝の手前にある、
ちょっと高くなった場所から撮っています。
同行した女性が滝の近くにいたので、
「水にさわって」と注文つけました。
12mmの超広角で、見ようによっては
ドローンで撮ったような高度感と広がりになりました。

一般的な穴滝の写真というと……
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▲このように下から撮るものが多いです。


まあこのように、景観として魅力的な場所ですが、
今回の記事では穴滝にまつわる歴史を探ってみました。
紙面にも書きましたが、穴滝は古く(明治の末頃?)から、
信仰の場となり、滝で修行する人がいたらしい。
さらには難病を患った人が治癒を願って
滝に入るようになりますが、これが大問題となります。

穴滝の下流には上水道の源となる奥沢水源地があり、
そこに病人の浴びた水が流れ込むのは大変……というわけです。
実際に病人が滝に集まっているかは定かでなく、
風評だった可能性もあります。
今よりも医療が未発達で衛生環境が悪かった時代、
難病患者に対する偏見もあったのかもしれません。

昭和7年9月1日付けの〈小樽新聞〉には、
穴滝地蔵を洞窟の外に移し、洞窟を爆破するという
ショッキングな記事が載っています。
ただし記事をよく読むと
「若し爆破が困難な場合は洞窟入口に金網を張り
絶対入洞を不能ならしめる……」
と少々“弱気”な一文もあります。
そのとおり、実際に爆破が実行されることは
ありませんでした。
昭和初期から穴滝は立ち入り禁止となったようですが、
その規制がいつまで続いたかは定かでありません。

穴滝信仰にまつわる像が、
松ヶ枝にある仏教寺院〈金比羅大本院〉にあると知ったのは、
最近のことです。現物を拝見し、住職に話を伺いました。

金比羅大本院があるのは松ヶ枝の高台。
住宅地の奥からさらに上がったところです。
訪れたのは7月下旬、
小樽でも気温30度くらいの暑さが続いたころでした。
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お寺に続く道は、両側に大きな樹木が並び
1〜2度気温が低いように感じられました。
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道沿いにはたくさんのアジサイが。
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境内の奥にある〈穴滝八大龍神〉の像。
昭和27年、穴滝を信仰する人々の寄進によって建てられ、
寺にはその名簿が残っていました。

再び穴滝の話に戻ります。
それにしてもどうしてこんな地形ができたのか。
これについては昭和13年に発刊された
〈小樽の地形と地質〉という文献に、有用な記述がありました。

文語体で書かれた本で読みにくいのですが、
要約すると穴滝のある岩壁は、
上層に硬質の集塊溶岩、下層に軟質の凝灰岩があり、
滝の流れによって下層が浸蝕され、
上層だけが残った、ということ。

ただし現在のようにわずかな水量では、
それだけの浸蝕作用があるはずもない。
穴滝のさらに上流、分水嶺を隔てて余市側に下る
畚部(フゴッペ)川の源流部の標高の高い位置に
「畚部火口湖」と呼べる湖があり、
そこから大きな流れがあったに違いない。
浸蝕によってできた穴滝の地形は、
かつてそこに大きな流れがあった証拠である……
といったことが書かれています。

調べるにつけ、単なる“奇景”ではない、
なかなか興味深い穴滝の姿が見えてきました。











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by wilderness-otaru | 2018-08-16 10:48 | 小樽散歩 | Comments(1)

江差 姥神大神宮例大祭(2018下町巡行・後編)


お祭りは夕方の食事休憩をはさみ、
“夜の部”へ。
午後8時頃、13台のヤマが集まって
“見せ場”を作ります。
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行灯を煌々と照らしたヤマが、
狭い商店街にびっしりと並ぶ様が壮観。
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▲各ヤマはここから神社へ戻る道を
巡行していきます。
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やがて神社前の広場には、
巡行を終えたヤマが次々と
戻ってきます。
「○○山のみなさん、たいへんご苦労様でした!」
と、場内アナウンスが大声で迎え、
沿道からも拍手が起こります。

すべてのヤマがもどったところで、
神輿が神社に帰る“宿入れ”。

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▲神輿が通る参道を
たいまつの火で清めたのち……
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▲神輿が勢いよく駆け上がります。
しかし、すんなりとは終わらない……。
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▲社殿の手前で神輿は止まってしまう。
神輿に乗って街を巡った神様は、
楽しくてまだ神社に帰りたくない、
と言っている様子を表しているのだそう。
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▲再び清めては、神輿が駆け上がり……
という動きを繰り返します。
神輿は3基あり、最初が7回、
次は5回、3回と繰り返すので、
合計では実に15回にもなります。

終わったときには沿道から
やんやの大喝采!
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この日の行事がすべて終わったのは
11時近く。
各ヤマはそろぞれの町に、
またお囃子を奏でながら
ゆっくりと帰って行きます。

明日は巡行2日目、上町を巡ります。
江差のお祭りはエネルギッシュ!
感動的です。








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by wilderness-otaru | 2018-08-14 12:03 | 北海道の各地 | Comments(0)

江差 姥神大神宮例大祭(2018下町巡行・前編)

毎年8月9〜11日に行われる
江差町の〈姥神大神宮例大祭〉。
昨年、初めて見に行きましたが、
その魅力にハマってしまい、
今年も出掛けてきました。
見たのは10日の午前から。
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各町内の「ヤマ」(山車/ダシのことをこう呼びます)
神社の前に集まり始めていました。
各ヤマはこのときからすでに
笛と太鼓のお囃子を奏でていて
風雅な旋律が街に響きます。
これを聞くと、あ〜江差のお祭りに来たな……と
気分が高揚します。
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腹ごしらえも万全。
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▲まずは神輿の行列が神社を出発します。

その後、ヤマの行列が続くのですが、
出発する前にお囃子コンクールのため、
各ヤマが順番に演奏し、審査員が採点します。
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演じるのはおもに小中学生たちで、
少々緊張気味の様子。
13のヤマの演奏が終わったところで、
行列の出発となります。
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▲背後に見える建物は横山家。
名物「鰊そば」を提供し、
建物内部が一般公開されていました。

しかし今春、当主が亡くなって営業は休止。
昨年訪れたときには、ご本人から
昔の町のことなどについて話を伺ったのですが、
とても残念です。
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▲船頭役のお稚児さんを載せた「松寶丸」。
唯一、船の形をした異色のヤマで、
弘化2(1845)年の製作という歴史あるもの。
北海道の文化財に指定されているらしい。
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出発して間もなく、やや強いにわか雨。
この日はぐずついた天気でしたが、
幸いにも、雨が降り続くことはなく、
なんとかもってくれました。
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笛・太鼓の音を響かせながらも
行列の進行は、とてもゆっくり。
こののんびりしたムードがいいんだな……。
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夕方近くには、豊川町で行列は折り返し。
ヤマどうしのすれ違いが見られます。
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お囃子が子守唄。
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このあと行列はいったん休憩。
食事をとったあと、
再び夜の部が始まります。

〈つづく〉











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by wilderness-otaru | 2018-08-13 10:57 | 北海道の各地 | Comments(0)

〈海王丸〉を見る

帆船〈海王丸〉が小樽港に来ています。
7月26日から防波堤の外にしばらく停泊し、
潮まつり期間中にも埠頭のあたりから小さく、
その姿が見られました。

30日からは港内に。
ただし接岸したのは中央埠頭で、
ここは一般の立ち入りができないため
船を間近に見ることができません。

そこでカヤックを漕いで近づきます。
カヤックなどの船は「雑種船」と分類され、海の法規(港則法)上、
港内への進入は特に規制されていません。義務としては単に、
他の船舶の航行を妨げない、といった程度です。

早起きして4:30過ぎに東小樽の海岸をスタート。
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防波堤を回り込んで港内へ。
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朝日を浴びる帆船が見えてきた!

手前のフェリー埠頭には〈らべんだあ〉。
新潟から4:30に到着したばかりの船です。
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“キリンさん”こと、ガントリークレーンとのツーショット。
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まぢかに見上げる船は、すごくきれいでした。

残念ながら今回は、セールの展開はなし。
今日(8月3日)の午後には
釧路に向けて出港するらしい。

以前に小樽でセールドリルを行ったのは1980(昭和55)年。
もしや、と思って、とあるところの
ストック画像を探したら、ありました。
そのときの画像です。
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(1980.11.5)


同じ海王丸でも先代の船だそうで、
今回入港しているものとは違います。
初代・海王丸は1989年に引退したそう(by wiki)。

2003年10月にも海王丸は小樽に来ています。
そのときは船内が一般公開されましたが、
セイルドリルはなかったようです。



【余談】
この文章を書くにあたり北海道新聞のデータベースで
「小樽 海王丸」と検索したら、
ヒットした見出しはわずか1件、
「ナマコ密漁阻止 合同パトロール」というもの。
なんかヘンだと思って記事を開いたら、

ナマコの密漁を阻止するための合同パトロールが27日、
神恵内村内の海岸で行われ……(中略)……
参加者は車で海岸をパトロールしたほか、
海上からは道の漁業取締船「海王丸」が警戒。

ですと。う〜む。
(記事は今年6月30日・道新小樽・後志版)









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by wilderness-otaru | 2018-08-03 12:17 | できごと | Comments(0)