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日本郵船の館内へ

北海道の観光施設などでは11月上旬の週末をもって
営業を終わるところが多くあります。
あとは4月下旬の連休まで“冬眠”となるので、
旅行関係の雑誌編集では、しまった!撮っておけばよかった!!
ということがけっこうあるのですね。

それとは別ですが、小樽では
重要文化財になっている旧日本郵船小樽支店が、
この11月4日から修復工事のため、長期休館となります。
再開は2022年3月という大掛かりな作業らしい。

何度も訪れているので、特に必要性はないのだけれど、
今後の約3年半は入れないということで、
一応、見納めに行っておきました。
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外観は荘厳・重厚な建築ですが、
内装の細かいところも見ものです。

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あとで気付けば、圧倒的にタテ位置の写真が多かった。
なんで!?
今回はいっそ、全部タテの画像だけを載せました。


それにしても修理工事に3年半近くとは長い。

この郵船では近年にも、2013年9月に「調査工事」が始まり、
当初の予定を1年延長して2015年3月まで休館していました。
今回始まる修理工事は、その調査を受けてのものだそうですが、
調査から着工まで3年以上も経って、
その間にも現況が変わってしまうのではないかと、
余計な心配をしてしまいます。

たまたま、今日の新聞は日本ハムファイターズの
新球場(ボールパーク)建設の計画を伝えていました。
それによれば2020年5月着工、
23年3月開業の予定とのこと。
工事期間は3年足らず。
郵船の修理工事はそれより長いんだな。

役所の仕事ってすごいな〜と、
あらためて感じ入りました。


皮肉かって?
当たり前でしょ(^-^*)








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by wilderness-otaru | 2018-11-05 13:26 | 小樽散歩 | Comments(0)

「住ノ江の薄い家」についてのまとめ【3】

住ノ江・旧石橋家別邸洋館に関し、
前回までかなり長い記事を書いてきましたが、
今度は洋館内部の様子を、
写真とともに記します。

洋館への出入りは、建物裏手(海側)の園庭側から。
山側、市道に面した入り口は現在、
使われていません。

なお内部は現在、物置のようで、
けっこう散らかっています。
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▲2階へ上がる階段。

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▲右手に見える扉が、市道側の入り口です。
4段の階段を上がったところが2階フロアですが、
市道側から入るとここが1階、下は地下室という感じ。
傾斜地に合わせた造りです。

2階の北側が書斎。
建物内で、メインとなる部屋です。
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今は物が散らかっていますが、
白い漆喰塗りの高い天井で、
気品の漂う空間であったことが
察せられます。

浄暁寺の先代ご住職(故人)は仏教史の研究家で、
浄土真宗の開祖である親鸞聖人に関する本など、
いくつもの著作を残した方です。

この部屋が執筆の場だったそうです。
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▲ドアのガラス、細かな装飾など、
手の込んだ造りです。

なおこの2階で南側、建物の薄い部分には
「読書室」とされる小部屋があります。
(下の写真で、緑色の窓が付いている壁の向こう側。)
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3階へ。
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階段は狭くてかなり急傾斜。
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上がったところ、3階は書庫です。
このフロアはもともと、
屋根裏部屋のような空間だったそうで
それをリフォームして今のような
設えにしたのだそう。

2階の書斎と比べると天井は低くて、
180cm足らず、内装も質素です。
多数の蔵書を収蔵するスペースが
必要になったのでしょうか。
ざっと拝見したところでも、
蔵書は仏教関係に限らず多種多様でした。

外から見て、屋根をくり抜いたような窓が作られたのは、
このリフォームによるものなのかも。
工事をいつ行ったのかは聞き忘れましたが、
窓にアルミサッシが使われているから、
昭和40年代、だろうか……。

前々回の記事 では昭和50年代初頭の
建物の外観写真を載せましたが、
そこにはすでにこの3階の窓があります。
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▲そしてこちらが3階の南側、
建物の奥行きが薄い部分。
なるほど、これは薄い。
両手を拡げてみたところ、
両側の壁の間隔は170cmあまりと思われます。

以上、洋館内部をざっと紹介しました。
まとめると地階はおもに物置スペース、
3階は屋根裏部屋改装の書庫。
落ち着いて過ごせる書斎は2階の1部屋だけ、と
ある意味ではぜいたくな造りといえます。

建て主である石橋家の人々が、
どのような意図・目的でこの建物を建てたのか
知るよしもありません。

後年に洋館を含む屋敷を取得した
先代のご住職にとって、この建物が、
執筆活動のための書斎・書庫として
大事な場所であったことは確かです。

石橋家邸宅の母屋(本邸)は
昭和61年に解体されますが、
この別邸洋館があえて残されたのは、
それだけ有用な建物だったということだと
想像します。


★洋館内部は特別な許可をいただいて撮影しました。
 館内の一般公開はされていません。






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by wilderness-otaru | 2017-12-29 16:59 | 小樽散歩 | Comments(2)

「住ノ江の薄い家」についてのまとめ【2】

通称(!?)「住ノ江の薄い家」こと
旧石橋家別邸洋館(以下「洋館」)に関する
調べ書きの続きです。

前回は、建物の成り立ちについて
推測を交えながら書きましたが、
今回は、屋敷の建て主である
石橋家について。


●当主・石橋彦三郎と、〈北の誉〉創業者・野口吉次郎
〈丸ヨ石橋商店〉当主の彦三郎は彦根出身の商人。
大阪の米穀商に奉公し、若くして商才を発揮しました。
明治11年、22歳で小樽に来て呉服・荒物を商い、
のちには海産物卸、鰊漁場経営も手掛けたようですが、
事業の中心は呉服商でした。

明治30年頃になって醤油の醸造という
新しい事業を考えていたところに出会ったのが、
野口吉次郎。出身地の加賀で
醤油や酒の醸造を手掛けるも成功はせず、
働き口を求めて小樽に来たという苦労人です。

石橋のもとで醤油造りを手掛け、製造が軌道に乗ると、
石橋家は国内でも屈指の醤油業者となります。
このほか旭川の雨粉(うぷん)では
〈丸ヨ農場〉を開いて米作を手掛け、
上川地方における水稲栽培の
礎を築いたという功績も伝えられています。

やがて野口は石橋の元から独立。
同じ醤油を造って奉公元と競合するのを避けるため、
酒造りを始めます。
これがうまくいって、生まれたのが〈北の誉〉。
野口吉次郎は北の誉の創業者なのです。
以上はおもに『小樽商工会議所百年史(1996)』を参考にしました。
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▲大正12年発行の市街地図。
住ノ江に浄暁寺と、丸ヨ石橋邸が記されています。
ただし書き込まれた場所は誤りで、実際にはどちらも1本下のブロックに位置します。

住ノ江からほど近い奥沢地区、
勝納川の流域には、ともに丸ヨの印を掲げた
野口と石橋の工場が記されています。
石橋には第一、第二、2つの工場があり、
製造規模が大きかったことを伺わせます。


●石橋彦三郎、石橋商店の晩年は?
醤油醸造で成功した石橋彦三郎ですが、
明治時代の終わり頃には故郷彦根に帰っているようです。
63歳になった大正6年、第12代の彦根町長に就任。
実業界出身の町長は、彦根で初めてだったそう。
また彦根高等商業学校(滋賀大学の前身)
誘致するため、多額の寄付をしたとのことです。

彦根には明治年間に建てられた石橋家住宅の建物群が現在も残り、
国の登録有形文化財となっています。

ということは、彦三郎は北海道で事業を行いながらも、
故郷との繋がりを保っていたということなのだろうか……。

住ノ江の屋敷は大正初期までに
建てられたとみられますが、彦三郎は
そこに住んでいないようです。
土地取得時の名義は、彦三郎の婿養子だったらしい。

近年まで盛業を続けた北の誉に対し、
石橋商店はより早くに事業を終えているようですが、
その来歴を伝える資料は見当たりません。

昭和35年に発行された小樽市港湾部製作の市街地図には、
勝納川沿いに「石橋醤油醸造工場」が記載されています。
ちょうど北の誉の工場(最近まで「酒泉館」があったあたり)の、
川を隔てて向かいのところです。

戦後にも操業していたようですが、
いつまで続いたのかはわかりません。
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▲昭和35年の地図。
この図は海側が上で、前掲の大正12年の図とは
反対向きであることに注意。

1994年に発刊された
『小樽市の歴史的建造物 歴史的建造物の実態調査報告(1992)からは、
小樽の建築に関して信頼度の高い書物ですが、
この本を見ると、かつて「酒泉館」周辺に多数あった
北の誉の製造関係の建物はいずれも、
元は石橋商店醤油工場として明治後期から大正にかけて、
建てられたものであったと記されています。
どの時代に北の誉の工場になったのかはわかりませんが、
両社は長年にわたって緊密な関係を
続けていたのかもしれません。

ともあれ、石橋商店の晩年について、いずれ調べてみたいと思います。

記事が長くなりましたが、
次回はようやく、洋館の中へ……。







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by wilderness-otaru | 2017-12-28 09:44 | 小樽散歩 | Comments(0)

「住ノ江の薄い家」についてのまとめ【1】

「住ノ江の薄い家」について、
前回は 内部の様子にも少し触れましたが、
建物の来歴など、さらに掘り下げてみます。

この建物はもともと石橋家の所有だった
ことまではわかっていましたが、
その別邸となる洋館であることから
「旧石橋家別邸洋館」の名を用いることにします。
以下は単に「洋館」と呼びます。

●航空写真で見ると、建物の位置関係が一目瞭然
浄暁寺をお訪ねした際に、1枚の
貴重な写真を見せていただきました。
昭和50年頃、お寺と、隣接する幼稚園とを写した
航空写真です。
元の写真はカラーですが、
それを下地として説明を加えたのがこちら。
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洋館は、画面左端に写っています。
洋館の後方、赤線で囲った細長い土地が
石橋家邸宅の敷地だった部分です。
画面右上に木々の茂る庭があり、
それに続いて瓦屋根の本邸、そしてそこに
ぴたりとくっつくように洋館が
建っている様子がわかります。

●洋館は本邸の背後に付随した建物だった
この航空写真を見ただけで、
洋館が薄い理由が、かなりわかってきます。
現在では独立して建つ
薄い建物に見える洋館ですが、
もとは本邸背後の狭い土地に建てられた、
付随的な建物だったわけです。

母屋の一角にもけっこうな広さをもつ
中庭があります(ここにも立木が見える)
洋館がこの庭に接する部分は特に、
建物の奥行きが削られています。
これは中庭を広く確保するためだったのかと
想像されます。
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▲現在の園庭から見た洋館。
手前の雪原全体に、屋敷が建っていました。
洋館に向かって右側には
ぴったりと接するように母屋が建ち、
左側、薄い部分に面して中庭がありました。


●建物はいつできたのか?
本邸の建物としては母屋と管理人用住宅(共に二階建て)
それに土蔵、物置があったそうです。
航空写真の瓦屋根からも察せられるように、
和風のお屋敷でした。
浄暁寺の今のご住職によると
「大正初期の建築と伝え聞いている」とのこと。

そこで洋館ですが、こちらの建築年も不明で、
本邸と同時なのか前後して建てられたのかも
定かではありません。

これはあくまで私の感覚なのですが、
どうもこの洋館はもっと後年の建物のように思われます。
アール・デコ風な幾何学的意匠、モルタルを吹き付けて
ザラついた仕上げにする“ドイツ壁”と呼ばれる外壁は、
昭和初期の建物を連想させます。
富岡のカトリック教会(昭和4年)
若松町の旧岡川薬局(昭和5年)
潮見台浄水場(昭和2年)あたりと
似ているような……。
大正時代でも後期か、昭和に入ってから
建てられたものではないかと感じました。
建築にはシロウトですが、小樽の他の建物と
比べての印象です。

●敷地は急な傾斜地。建物は3階建て
園庭から撮った写真を見て、
もうひとつ気付くのは、敷地の傾斜です。
小樽の市街地は大部分が傾斜地ですが、
ここ住ノ江もその例に漏れません。

洋館右側の住宅は、盛り土と石垣によって
平坦地を造っていることがわかりますが、
洋館にはそれがない。
園庭側から建物に入るとそこが1階(「半地下」に近い)
市道側から入ると、階段を4段上がって2階という
建物内に段差がある構造となっています。

すなわち石橋家邸宅の敷地は、
市道側から本邸の側に向かって
すとんと落ち込む(落差2mくらい?)地形です。
それ故、本邸はその部分を避けて建てられ、
空いた細長い傾斜地を利用するべく、
(後年に?)建てられたのが、
この洋館だったのではないでしょうか。

●石橋邸のその後
石橋家がいつまでこの邸宅を
使っていたかは不明ですが、
その後、別な所有者がいたことは
わかっています。

昭和46年に浄暁寺が、市内の商業者から
邸宅全体を購入。
本邸を住職一家の住まいに、
洋館は書庫・書斎として利用します。
昭和61年、寺の施設、浄暁寺学園本部を
新築するため、邸宅部分を解体。
洋館だけは残り、そこに隣接する土地の一部が
幼稚園の庭となって現在に至ります。

この建物の昔の様子を伝える写真は、
残念ながら見当たりません。
唯一、小樽市総合博物館が所蔵する画像のなかに
洋館を写したものがありました。
昭和50〜52年頃、兵庫勝人氏撮影の
一連の市街地スナップのなかの1枚。

建物の姿は、基本的に現在と同じです。
この時点では洋館の背後に
本邸が建っていますが、それを写した写真は
残念ながらありませんでした。
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石橋家や、建物について、
書くことはまだあります。
長くなるので、回を改めることにします。











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by wilderness-otaru | 2017-12-27 10:53 | 小樽散歩 | Comments(0)

“住ノ江の薄い家” わかったこと

われわれ街歩き趣味人(?)の
あいだでは有名な、あの建物。
「住ノ江の薄い家」といえば、
すぐにピンとくる人もいるはず。
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建物の由来などがフシギで、
小社刊『小樽散歩案内』でも
丸ヨ石橋商店別邸、とだけ書いて、
詳細は不明としてきました。

先ごろ住ノ江界隈の取材をする件があり、
あらためて、この建物のことを
調べることにしました。

すると、建物は隣接する
浄暁寺の所有であることがわかり、
お寺に伺って、いろいろなことが
明らかになってきました。
もっと早くに聞くべきだった……。

内部にも入らせていただきました。
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道路とは反対側(海側)、
幼稚園の園庭から見たところ。
こうして見ると、奥行きが薄いのは
建物の一部であることがわかります。
まあ、一般的な建物と比べれば、
全体が薄いことは確かですが。
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そしてこれが、建物内の階段。
内装に傷みはありますが、
随所に装飾を凝らしていることが
わかります。

建物の来歴、所有者・石橋家のことなど、
現在、調べて整理しています。
内部の画像とともに
詳しくはまた、改めて。

なお今回の撮影にあたっては、
浄暁寺のご厚意で許可をいただきました。
一般には公開していないとのことで、
お寺への問い合わせはご遠慮ください。



建物の来歴、建て主である石橋家のことなど
非常に長くなるので以下、続編 に記します。









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by wilderness-otaru | 2017-12-23 16:18 | 小樽散歩 | Comments(4)

花園町のレンガ倉庫、路地の風景

花園町、公園通りから少し奥まったところにある
レンガ造りの蔵は、かねてから気になる建物です。
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手前にはその母屋なのか、
白壁の美しい建物もあります。
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玄関が覆いで塞がれているようです。
建物はもう使われていないのか……。
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そういえば以前、
このレンガの倉庫の写真を見て、
「海猫屋?」と思った人がいました。
無理もない、建物はよく似ています。
そもそも、小樽にレンガの建築は
そう多くはありません。
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この近くにある小路の風景。
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“昭和感”たっぷりの光景です。







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by wilderness-otaru | 2017-12-20 15:03 | 小樽散歩 | Comments(0)

花園の“三角堂”

花園公園の下、住宅地の一角に
小さなお堂があります。
通称「三角堂」。
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お堂の前にはいくつかの、
お地蔵さんが並んでいます。
冬のあいだはビニールシートで
くるまれていますが……。
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三角堂については、以前(2013年8月)にも
書いたことがあります。
(記事はこちらです

そのときは文献を読んだだけでしたが、
ちょうど1年前、お堂を所有する
精周寺のご住職に取材して、
詳しい話を聞きました。
その内容を踏まえ、
この機会に、より正確なことを
書いておきます。

まずお堂の正式名称は
「精周寺花園説教所三角堂」。
住職によると、
正確な建立年は伝わっていませんが
大正6〜7年頃らしい。
(小樽市史には大正8年との記述あり)

このお堂が建てられた理由は……。
現在は天狗山山麓に
大きな敷地を構える精周寺ですが、
もとは潮見台、現在の龍徳寺近くに
ありました。
明治42年に本堂を解体し、
最上町の現在地に移築します。

当時の最上町は、人里を遠く離れた僻地で、
移転によって半分以上の檀家を
失ったのだそう。
そうしたこともあり、信徒の利便を考えて
街なかに建てた別院がこの三角堂、というわけ。

もうひとつ大事なことですが、
二股に分かれる道路のあいだ、
三角形の敷地にあることから
三角堂と呼ばれている、と思われがちですが、
それは正しくありません。

戦前にあった建物の図面はお寺に保管されていますが、
それを拝見すると、建物の平面が
整った正三角形をしていたのです。
そのお堂は戦時中に撤去を余儀なくされ、
現在のものは戦後再建された建物で、
当初のものよりだいぶ小さくなっているようです。

現在のお堂で目立つのはお地蔵さんですが、
この来歴について、お寺ではわからないとのこと。

ともあれ、大事なのは地蔵のためのお堂ではなく、
あくまで精周寺の別院として建てられたお堂である、
ということです。

お堂に関して誤ったことが書かれることもあって
不本意であると、住職はおっしゃっていました。

事実を正しく伝える。
ブログを書くにも心しなくては、と
あらためて思いました。










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by wilderness-otaru | 2017-12-20 11:38 | 小樽散歩 | Comments(0)

入船から花園へ

火の見櫓の建つ住ノ江の高台から、
入船通りに下りてきました。
通り沿いに八百屋さんがあります。
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ありゃ……雪が激しいせいか(?)
ピンがきてない。
(この日使ったのはNikon P300。なかなかいいカメラだけど、どうした!?)
しかしこう見ると、このボケ感、
けっこうおもしろいかも……。
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店頭のひさしを伸ばして、
ここだけアーケードになっています。
この界隈で商店はここ1軒のみ。
昔はいろいろな店が並んでいたようですが……。
そう、「昔はたくさん店があった」
という話は、市内のあちこちで聞きます。

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通行禁止! たしかに……。
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今はレストラン「夢二亭」となる
旧塩田家の邸宅。
大正初期の建物らしい。

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「みなともち」のお店。
なかなか風情のある建物です。
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こんな民家を見つけました。
玄関の上には曲線を描く「むくり屋根」。

平屋だけど屋根が二重になるように
庇がめぐらされ、その間には
明かり取りの窓がある凝った造りです。

屋根の上には、煙突を落雪から守る
三角形の雪割もあって古風な感じ。
よく手入れされているようです。









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by wilderness-otaru | 2017-12-19 10:29 | 小樽散歩 | Comments(0)

住之江町の界隈 火の見櫓のことなど

今年は雪の降り始めが早いです。
12月初旬で早くも、
真冬並みの雪景色となりました。

先日、かなり強く雪が降る日の午前中、
住ノ江町を歩く機会がありました。
住吉神社のあたりです。

この界隈で目を引くのは、
住宅地の一角に建つ火の見櫓。
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小樽市内で現存する火の見櫓は、
多分これが唯一だと思います。
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櫓だけでなく、
ちゃんと鐘も付いている。

最近手に入れた
『百寿 墨ノ江 小樽市住ノ江町会100年のあゆみ』
(平成21年刊)によれば、昭和30年に
町会館を新築するとともに、
消防設備一式を新しくしたとのことで、
櫓もそのときに建てられたのではないかと想像。

もし戦前の築であれば、
鐘は戦時中の金属供出で
持って行かれたはずですから。
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火の見櫓の存在は、
以前から知っていたけれど、
今回初めて気付いたのは
手前に立つ樹木。
トドマツだったんですね……。
森に入れば普通に見られますが、
住宅地ではかなり珍しい。

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そしてもうひとつの発見。
昭和61年8月吉日の日付で
「移設」を示すプレートです。

移設のことは最近、町会長さんに
聞いて知りました。
現在の住ノ江町会館が新築されたのは
昭和61年11月で、それに合わせて
火の見櫓を山側に、
30mほど動かしたのだそう。

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後日、偶然にも同じ場所で撮られた
昭和50年代初頭の写真を見つけました。
火の見櫓は旧町会会館の隣に建っています。
そしてトドマツが小さい!
およそ40年を経て、立派に育ったんだね〜。

櫓の脇には、下に降りる小道があった。
こういう細い坂道って、
何かそそられます。
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櫓を見上げるアングルが
ちょっと新鮮な感じ。
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それにしても、今どき櫓の上から
火事を見張ることもないだろうし、
どの程度使われているものか……。
ホースを乾かすのに使う、
とは聞きましたが。

まあ実用的な意味はともかく、
火の見櫓の建つ光景って、
どこか風情があります。

入船町側に下り、
さらに花園の町を歩きました。
(つづく)











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by wilderness-otaru | 2017-12-17 23:29 | 小樽散歩 | Comments(0)

緑町の高台

小樽の“街ネタ”はわりと久しぶりです。
先日、歩く機会があったのは「緑町」。

正式な町名は単に「緑」ですが、
「みどりちょう」といわれることが
多いようです。
一文字だと一般名詞みたいで
わかりづらいせいか……。
昔は「緑町」でしたが、
昭和42年に始まった町名改正で、
“町”が取れたようです。

同様の例として「桜」があります。
これも「さくらまち」と
呼ばれることが多く、
バスの行き先表示も「桜町」。

やはり「町」が付いていた方が
いいと思うのだけど。
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緑町でも最上町に近い高台には、
立派なお屋敷がいくつかあります。

上の写真で背後に見える
高台の一帯には「円吉山」の
通称がありました。
木村圓吉さんという、
著名な財界人の
屋敷があったあたりです。

かつてはこの丘陵が、
スキーには格好の斜面だったらしい。
昔はリフトのあるゲレンデではなく、
広い斜面ならどこでも
スキー場になりました。
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撮ったのは1週間ほど前、
まとまった雪が降ったあと。
その後、気温が上がって雪は
かなり解けました。
そろそろまた降って、
きれいな雪景色が見たいものです。
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正法寺という立派なお寺もあります。

ところで。
緑町第一大通りを歩いていたら、
面白い発見がありました。

焼き鳥屋さんの店先に、
こんな表示がありました。
前を通りすがりに見付け、
思わずムーンウォークで(!?)
戻って再確認。
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▲山陰本線のまくらぎ!
d0174510_23164531.jpg
▲こちらは土讃本線。
四国です。
土佐と讃岐を結ぶ路線。

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▲中部電力さんの電柱!

クルマでは前をよく通るのだけど、
これは気付かなかった。
しかし山陰本線、土讃本線、
中部電力さんと、ずいぶん
遠くから運んだもんだ。
枕木だったら函館本線にも
あるだろうに。
電柱は北海道電力さんでも
いいだろうに。

どういうストーリーがあるのかは
知らないけれど、
町を歩いてみると、
いろんな発見があるものです。











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by wilderness-otaru | 2017-11-29 23:24 | 小樽散歩 | Comments(0)